2012年10月01日

平倉城址編

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 平倉山城址は、小谷村中土黒倉にある小谷城の跡、小谷村の文化財に指定されている。平倉山は、中谷川と姫川が合流する地点を臨み、山の東西と南側の三方がかなりの急坂で北側は馬の背のような尾根が続いているので、攻めにくく守りやすい地形になっている。その地形を活かし、山の8〜9合目あたりに三段になった城跡があり、それより南西へ50mほど下ったところには、城主の奥方や、これに仕える女性の屋敷跡(局屋敷跡)があったらしい。城の歴史は室町時代の頃、飯森盛照という人が小谷地方を治めていたといわれる。その後、戦国時代、飯森日向守盛春(春盛とも言われる)が上杉謙信側につき、辺り一帯を守っていた。折りしも戦まみれの戦国時代、上杉謙信と武田信玄がにらみ合う中、白馬村の一夜山にあった飯森城にいた飯森盛春は、武田信玄方の武将山県昌景に攻められ、小谷城に逃走する。武田側の小谷城攻めは弘治2年(1556年)に始められたが、深い積雪に妨げられた武田軍は、雪解けを待って再び攻め入り、遂に落城する。時に弘治3年(1557年)7月5日という。この落城にちなんだ、悲話、伝説、地名等は、北小谷の戸土の辺まで点々と残っている。塩の道「千国街道」に残る「貝の平(けえのびら)」は、上杉謙信の援軍が越後から千国街道を上ってこの地まで来たとき、貝を吹き、援兵の来たことを知らせた場所。そこから少し離れたところで、武田軍により落城させられた際の火の手を見て、上杉の援軍がじだんだを踏んで悔しがったそう。その場所を今でも「地団駄」と言っている。ちなみに中谷大宮諏訪神社の対岸にある玉泉寺の本堂の裏に飯森盛春の墓所がある。
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2012年08月02日

文化伝承の時間〜塩島城址編〜

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 塩島城址は、白馬森上駅近くの塩島集落のすぐ東にある標高717mの低い丘の上にある。この丘は大昔松川の氾濫によってできた丘で、丘の東側から南側にかけて断崖になっており、松川と姫川の合流点を臨むことができる。塩島城は、塩の道(千国街道)や四ヶ庄平を見下ろすことができる絶好の場所に建つ戦国時代の典型的な山城であったようだ。この塩島城の城主は、この辺りを治めていた仁科氏に従う土豪で、戦国時代の争乱時、白馬村飯田に布陣していた武田方の武将に討たれ、落城したといわれる(下記参照)。城址は遊歩道が整備され歩きやすく、看板や道標があるので散策するのも楽しい。道中には、空堀跡や八幡宮、日光寺跡があったり、三峰様がまつられたりしている。
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posted by 編集室 at 10:05| 長野 ☀| 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月25日

長野県スキー発祥100周年

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2012年は、長野県スキー発祥100周年!
各スキー場では、これを記念し、お得な企画も。
あなたもスキーの魅力を再発見しに出かけてみては?!
まずは、スキーの歴史をちょこっと知っとこう! 
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joshi.jpg  1911年(明治44年)にオーストリア・ハンガリー帝国より軍事視察のため来日したレルヒ少佐が、新潟県高田でスキーを教授したのが、日本のスキーの発祥。
その翌年1912年(明治45年)、高田で講習を終えた飯山妙専寺の住職市川達讓さんが飯山でスキーを披露したのが、長野県スキー発祥の記念すべき歴史の一幕。(ちなみに、来年2013年は白馬村スキー発祥100年、詳しくは来年のお楽しみ♪)
ちなみに、レルヒさんが伝えたスキーは杖を1本だけ使うスキー。 
現在主流の杖を2本使うスキー術のひとつ、「アールベルクスキー術」は、1930年(昭和5年)のハンネス・シュナイダーさんの来日まで待たないといけなかったんだって。
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 長野県のスキー発祥の地・飯山当時、家具職人であった小賀坂濱太郎が40台のスキーを製作、れにより、国内第1号のスキーーカーとして創業したそう
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白馬さのさかスキー場

合わせて100歳でリフト無料 (1月12日)
★お問合わせ…0261-75-2452(白馬さのさかスキー場)

白馬みねかたスキー場

スキーの原点に戻れ!歩くスキー10qにチャレンジ
歩くスキーで、みねかた歩くスキーコースを2周(10q)するとオリジナル缶バッジがもらえるよ! (先着100名)
★お問合わせ…0261-72-2281(白馬みねかたスキー場)

白馬岩岳スキー場

総額100万円!豪華賞品をスタンプラリーでGet!
(1月9日まで)
★お問合わせ…0261-72-2780(白馬岩岳観光協会)

白馬栂池高原スキー場

県民デー 大人3,500円・子供2,300円
リフト1日券+ランチ券(900円)+ナイター割引券+温泉割引券(栂の湯・元湯栂の森)
1/10-31 (長野)
2/13-19 (愛知・岐阜)
2/20-26 (新潟・富山・石川)
2/27-3/4 (山梨・静岡)
3/5-3/11 (東京・神奈川・埼玉)
★お問合わせ…0261-83-2255
(白馬観光開発樺フ池営業所) 
 
 
白馬五竜&Hakuba47

お財布にやさしいキャンペーン
リフト1日券+ガソリン券+食事券+レンタル券が抽選で100名に!
応募はこちら→http://www.goryu47.net
お得な「レンタルパック」(3月18日まで)
大人 6,000円、小人 4,000円リフト1日券+スキーorスノーボードレンタルセット+食事券1,000円分
引換券をこちらhttp://goryu47.com/から
印刷して持参してね

白馬八方尾根スキー場

第66回八方尾根リーゼンスラローム大会(3月1・2日)
大会参加者全員に、100周年記念大会
メモリアルグッズプレゼント(1名1レース 3,000円)
★お問い合わせ…0261-72-2715(八方尾根開発株式会社)
八方尾根スキースクール
八方尾根スノーボードスクール

2名以上で常設レッスンに申込みする際、グループの合計年齢が100歳を超えると、1名分の講習料が無料!
※他の割引との併用不可 (3月31日まで)
★お問い合わせ…0261-72-2126
(八方尾根スキースクール) 
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まだまだ続きがあるよ♪
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2009年04月30日

歴史小ばなし

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最近は歴史がブームなんだとか。教科書を離れ、隠れたエピソードなどを紐解くと、歴史ってホントにおもしろいよね。ここ、白馬村と小谷村では場所柄、武田信玄にまつわる歴史的エピソードが多く残っているよ。そのいくつかを紹介するね〜。 
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甲斐の武田信玄が、仁科氏の家来、大日向佐渡守(おびなたさどのかみ)が守る飯田城(犬川の上流にあった)を攻めようとした時のこと。信玄は陣を張り、家来に命じてあたりの様子を調べさせ、軍議を開いた。

そのころ飯田城では、見張りの者が異変に気付き、武田の軍勢だとすれば、取り囲まれるのは時間の問題と不安におちいった。佐渡守は「慌てるな。敵は今、下見をしているに違いないが、この闇夜では詳しいことはわかるまい。今の時期、野営をするにも寒く、兵糧も手に入りにくい。おそれることはない。この城が豊かで武芸にすぐれた物が大勢いることを見せつけて簡単には攻められるものではないと示すのだ。夜明けまでにととのえておけ。」と命じた。

日が昇り、城の様子を探りに来た信玄の家来は、飯田城を見て驚いた。とても豊かな生活が感じられたのだ。城からは、暖をとるためか食事の用意のためか、勢いよく煙が立ち昇り、早朝から弓を引く者も見られた。石垣の上から時折、石が転がり落ちるところを見ると、登って攻めようとすれば、ため込んである石を落とされてしまうだろう。偵察から戻った家来は、早速、飯田城の様子を伝えた。信玄は「そうか。あせってはならん。」と、兵を動かさなかった。

攻め込む隙をみせない飯田城を武田の軍勢は取り囲んだまま、時間だけがすぎていく。武田勢に空腹と疲れの色が見え始めた、その時。「敵だ!こちらに向かってやってくるぞ!」と武田勢の一人。みながいっせいに振り向いた。「いや、あれは人ではない。犬だ!犬が夢中になって水を飲んでいるぞ!そうだ、城中にはもう飲める水がないのだ。人も渇いているはずだ。攻めろ!攻め込め!」。一気に攻め込まれた飯田城は落城。

この時から、この川は犬川と呼ばれるようになった。

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信玄と謙信が川中島でまみえる5年ほど前、信玄は兵をやり、白馬村飯森に陣を張る飯森十郎盛春を攻略。やぶれた盛春は、謙信を頼って越後に逃れた。

その後、小谷の平倉城に入った盛春。小谷五人衆に応援を求めたが、すでに武田方に通じていた4人は承知せず、越後と関係の深かった山岸氏だけが応じた。

盛春は4人のうちの1人を殺し、他の3人を服従させようとしたが、失敗。武田軍勢を率いる山県昌景に攻め込まれれてしまう。

米を馬の背にかけ水の豊富さを敵に示そうとするなど奮戦したが、山城では兵糧や水に恵まれず、ついに落城。盛春は討死し、盛春の姫は、馬を駆って館山の麓まで行き、姫川の深淵に身投げした。ここは今も、姫が淵と呼ばれている。

謙信が差し向けた援軍が北小谷の深原の上まで来た時、落城の火の手があがり、彼らは無念の貝を吹き鳴らし、"地だんだ"を踏んだという。そこには、"貝のびら"或いは"地だんだ"という地名が今も残る。rekisi.j4.jpg 
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小谷温泉は、武田信玄の隠し湯のひとつとして知られている。川中島で、信玄が上杉謙信と対峙していた天文24年(1555年)に、信玄の家臣、岡田甚一郎が薬師如来の夢のお告げで発見。兵士の療養に利用され、『現夢の湯』と呼ばれ親しまれたそう。
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甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信が交戦中のこと。甲斐に塩を供給していた今川氏が武田氏と反目。塩の供給を絶ってしまった。これを知った謙信は、永禄11年(1568年)に、牛馬の隊列を整えて、甲斐の信玄へ塩を送った。敵対国であるにもかかわらず、援助の手を差し伸べた謙信の行為は高く評価され、「敵に塩を送る」という言葉が生まれた。

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歴史に思いを馳せつつ、古の道を自分の足で歩いてみては?!
その昔、糸魚川から塩尻まで塩や麻などを運んだ千国街道。その小谷、大町間を歩く『塩の道祭り』は今年で第30回。村の名所をめぐりつつ景色を楽しみながらのんびり歩く。昔の装束に身を
包んだ人も大勢いて、歴史に浸るにはもってこいだよ。
※この街道を使って、謙信の塩も運ばれたんだって。 

小谷村 5/3(日)TEL0261−82−2233(小谷村観光連盟)
千国コース -草花の芽吹き 古の街道を歩く-(約9km)
 8:00…受付・下里瀬基幹センター
 9:10…出発
 9:30…虫尾阿弥陀堂
10:00…小谷村郷土館(街道市)
11:45…千国諏訪神社
        (街道市、旅姿コンテスト、ノルディックウォーク講習会など)
12:55…千国の庄史料館(姫川太鼓)
13:45…牛方宿(塩の道ギャラリー)
        百体観音
14:10…栂池高原着(街道市) 
先着で参加記念品プレゼント

 塩の道祭りリプレイベント
「春爛漫の北の塩の道を歩く」〜花の咲く塩の道を歩きましょう〜 
参加者募集中
■5/1(金) 信越国境から大網峠越えコース
■5/2(土) 葛葉峠と天神道越えコース
参加費:3,000円/人(保険・バス代含) 申込〆切:4/27(月)

「塩の道ナイトウォーク」〜「ことぼし」の明りで夜道を巡る〜
■5/2(土) 19:00〜牛方宿にて塩の道スライドショー
           19:40〜百体観音までナイトウォーク
※栂池駐車場18:30〜牛方宿まで送迎バス運行
※コースやスケジュールを変更する場合あり 参加費:無料 申込〆切:4/27(月)

 
白馬村 5/4(月) TEL0261-72-7100(白馬村観光局)
歴史の道コース -春風と歩こう 歴史の道-(約12km)
 8:30〜9:00受付・サンアルピナ青木湖スキー場駐車場
 9:10…出発
10:10…二層塚
10:40…貞麟寺
11:40…飯田神明社(地元芸能)
12:30…飯森神社
13:00…白馬グリーンスポーツの森着(出店、からこまき、地元芸能等)

 「白馬マイスターと塩の道祭りを歩こう」
5/4(月)岳の湯集合・移動ー塩の道祭り参加ーゴール後入浴ー解散
参加費:4,000円/大人・小人(ガイド料・昼食代・入浴料・消費税含)
申込〆切:5/3(日)12:00まで

posted by 編集室 at 12:13| 長野 | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月11日

輪かんじき

 
 
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 古くは雪国の生活に欠かせないものだった“かんじき”。現在ではスノーシューなど便利な道具も豊富になり、除雪も行き届いているので昔のように需要がなくなってきているのだとか。今回は、作れる人も少なくなってきている、この伝統の道具に着目!
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日本各地に存在するかんじきの多くは、木や竹を曲げて輪にしたものに、足を置くための支えを取り付けた簡単な作り。楕円形や円形、爪付き(春の硬く締まった雪を登る時などに使用。)など用途に合わせたいろいろな形がある。白馬・小谷で作られていたかんじきの多くは、「ネマガリダケ」を利用したもので(左の写真の見本は木の物)、火や湯を用いずとも採ったばかりの竹を手で簡単に丸く輪にする事が出来るそう。「ネマガリダケ」は3年物以上の丈夫な物を使用する。
 昔は屋根雪下ろしや、道踏み(新雪を踏み固めて、歩きやすくする作業。家の近所を踏み固めるのが早朝の仕事だったんだって)など日常的に使用されていた。そのため、昔はどの家にも用途に応じてたくさん持っているのが普通だったんだとか。

履いてみる?!
スノーシューに比べて、初めて履いた人は途中で脱げてしまう事が多いほど、簡単な作りの「かんじき」。輪っかの真ん中にある支えに足を乗せたら、あとは目にも止まらぬ早さで、縄を長靴に固定していく。「履き方をよく教えてもらえませんか?」の質問に「要は脱げなければいいの。決まりなんてないよ」と意外な答え。とはいえ、雪の中で脱げてしまうのは危険な事。脱げないように履けるようになるまではひとりでは行動しないのが鉄則って事!?昔は子供の頃からいろいろ手伝いつつ覚えたのかな?
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 作ってみる!?
 kanjiki07.jpg 3年物以上のりっぱなネマガリダケを使って、乾かないうちに輪を作る。左右対象になるように、2つ同じ物を作ろう。
針金(倉科さんは14#焼番線を使用しているそう)で3ケ所以上しっかりと留める。竹は20cm以上重ねて。
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 kanjiki08.jpg 足を置く支えの部分は、縄で作られたものが多かったそう。ロープの巻き始めは図1の履く時のように巻く。
 注意事項
倉科さん曰く、見れば作れる!ほど簡単な作りの「かんじき」だが、現在を生きる我々にとっては、履く時に用いる“縄”一つ作るのも経験のない世代。無理な時はビニールロープなどに頼るのも手なのだとか。なんと言っても大自然の中で命を預ける道具なのだと言う事を忘れず安全第一で。
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             お忙しい所お時間を頂きありがとうございました    by編集室 
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posted by 編集室 at 14:26| 長野 ☀| 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月07日

あれから10年

 
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ノーマルヒルとラージヒルの間のリフトに乗ってスタートタワーへ  片道4分
【白馬ジャンプ競技場】
長野冬季オリンピックで、日本に金メダルと感動をもたらした舞台『白馬ジャンプ競技場』。大会開催日以外は、リフトで上って見学ができるよ。運が良ければ、実際にジャンプの練習風景を目にすることも。
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【ラージヒル団体金】
 岡部孝信、斉藤浩哉、原田雅彦、
  船木和喜
【ラージヒル個人金】 船木和喜
【ラージヒル個人銅】 原田雅彦
【ノーマルヒル個人銀】 船木和喜 
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選手は、アプローチ(飛び出す前の助走部分)脇にある信号(写真上)が青になったら、15秒以内にスタートしなければならないんだって。だけど、この信号機、選手からは見ることが出来ない。スタートは、コーチが風を読んでタイミングを計り合図するため、コーチがいるコーチ席に向けて設置されているんだよ。 
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今では当り前になっている『V字ジャンプ』。20数年ほど前に、スウェーデンのヤン・ボークレブという選手が始めたんだって。実は彼、ガニ股のためスキーを綺麗に揃えることが出来なかったんだとか。そこで、足を開いたら飛距離がぐんと伸び、このスタイルに。最初はカラスと馬鹿にされていたが、飛距離点がすごく、今ではこの飛び方が主流に。 
リフト運行時間 8:30〜16:30(4/中旬〜11/中旬)
リフト運休日   4/1~7、11月中旬のリフト点検時、大会開催時
リフト料金     大人500円、小中学生300円
           *共に往復料金・オリンピック記念館入館料含む 
★お問合せ…0261-72-7611
実際にスタート地点を目の当たりにすることができるジャンプ施設は、日本では、こちらと北海道の2箇所のみなんだそう。スタート地点までは、スタートタワーから階段で。こちらの階段、除雪がしやすいように、足元が鉄の網になっていて、下が丸見え。立ち止まると、怖くて動けなくなりそう。足がすくむって、こういうことなのね…。 
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こんなところから、
飛び出すなんて本当にすごい!

オリンピック時には、45,000人収容の観客席が身動き取れないほどの大観衆で埋め尽くされたのだとか。ちなみに、現白馬ジャンプ競技場所長の村越さんは、この時、スノーレッツの着ぐるみを着て、ここジャンプ競技場で踊っていたんだって。 
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素人考えだと、追い風の方がより飛べそうと思ってしまうけど、実は、向かい風の方が浮力が得られて、より飛距離がのびるのだとか。

 編集室員感激の一押しスポット。是非、たずねてみてね〜。
まだまだ続きがあるよ♪
posted by 編集室 at 12:02| 長野 | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月21日

村のひな祭り

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元々白馬・小谷では、4月3日に「ひな祭り」を祝っていたそう。そのワケは「3月にはまだ桃の花が咲かないから」だとか、「雪が多くて節句の祝いに出かけるのが大変」だからだとか諸説あるが、有力なのは旧暦の日付。ただ、旧暦だと現在太陽暦を用いている我々は、毎年違う日に「ひな祭り」を祝う事に。それならいっそ1ヶ月遅れが分かりやすいと言う事で4月3日になったんだって。
 現在では、幼稚園や保育園、学校などで3月3日のひな祭りが一般的になって来ているため、3月にお雛様を出して、そのまま4月3日のお節句まで飾り続ける家庭も多いのだとか。
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白馬・小谷では昭和の初めごろまでは、雛人形と言えば押し絵雛(※1)が主流だったそう。 また、桃の節句は、女の子の誕生を祝うもので、お嫁に行ったばかりの新婚の女性は、この日に里帰りをしたんだって。節句に働くと能無しの節句働きと言われたそうだよ。(※1)押し絵雛(おしえびな)
その名の通り平面に押し付けたような平たいお雛様。裏面に取り付けた棒で畳の裏や専用の板に挿して飾った。 江戸時代中期初めに、武家の娘の手習いとして京都から全国に伝わったもので、厚みを出す為の綿を芯に、絹等の布を張って作る。現在では羽子板を作る際の手法として残っているんだって。 松本市の「松本押し絵雛」は伝統工芸品として現在も受け継がれているそうだよ。
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ひなまつりに欠かせない“甘酒”って、簡単に作れるってしってた?
昔はコタツで作っていたそう。ほんわか素朴な甘味に、心まであったまっちゃいましょ〜♪
 
 
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posted by 編集室 at 14:39| 長野 ☁| 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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